息が詰まるやうなこの小さき町の片隅で 崇高なる書物の内に響き渡る叡智の羽音だけが おれの精神(たましい)に安らぎと尊厳を与える。 ああ、だが、きみよ、 おれの運命の女よ、 静謐な賢者の柩をこじ開けて その馨しき禁断の蕾が零れ落ちるとき、 陰鬱な戀の火焔が揺蕩ひて 狂はむばかりの堕落へとおれを追ひ立てるのだ。
見よ、街を灼き尽くさんと 地平線にその身を横臥へる太陽が おれを嘲笑つてゐる 見よ、四方八方を取り囲む山々が 凍えるやうな冷酷さをもつて おれを罵つてゐる 悪魔に魂を売り渡し、聖女の上衣(ローブ)を踏み躙つたおれを。 清廉潔白の民よ、さうだ、罪深いおれを赦すな もとより逃げ場のないおれだ この堅牢な檻の中で 我が最愛の悪徳に誓ひをたてよう。
万物に平等に降り注ぐはずの朝日にさへも わが魂は見放された。 一片の光輝(かがやき)すらも届かぬこの深淵では 疑念と欺瞞が呪ひのやうに渦巻ゐて、 哀しき戀の亡霊が 沈鬱な執行人さながらに 粛々と 黒光りの断頭台へとおれを誘ふ。 身動ぎもせず祈りを捧げる清らかなる乙女よ、 無慈悲な別れの其の瞬間に 愛しきお前の憐憫をのみ、おれは請ふだらう。
夜な夜な現れては消える、 青い夢の女、我が天使 あなたの其の聲、其の匂ひ、其の微笑みに、 癒されてゆく我が魂 我が恐るべき情熱 如何に人々が我を蔑まんとも、 幸福と光に盈ち溢れた我が天使よ、 絶望に打ちのめされたこの憐れな瀕死の男に ひとたび貴女の瑠璃色の慈愛が投げかけられれば 朽ちかけた命の炬火すらも蘇り、亦、輝きを取り戻す。
耀きわたるこの大空の下で 剣呑さの欠片も感じさせぬ、浮かれたこの日曜の町中で 今この瞬間にも、 悪魔めが、おれを誑かさんと手薬煉を引ゐておるのだ この皮一枚の下には、 おれ自身にすらも制御の出来ぬ恐ろしい獣が居て、 隙あらばおれの内側から破つて出でて、 この世の惡業の限りを貪り尽くさんと 虎視眈々と機会を窺がつて居るのだ。
苦腦、恥辱、後悔、啜り泣き、 おれの魂を腐蝕させてゐるすべての闇を 愛し君、我が戀人よ、お前は知つているだらうか? お前がその美しく白い腕(かいな)でおれを抱くとき、 お前がその純真で高潔な胸の中でおれを思ふとき、 おれはおまえを欺ひてゐるに等しいことを とは云へ、おれには、 真実のおれをおまえに打ち明ける勇気がないのだ。
植田慎一郎
Takao Kasuga
伊瀬茉莉也
Sawa Nakamura
日笠陽子
Nanako Saeki
松崎克俊
Masakazu Yamada
上村彩子
Ai Kinoshita