天文4年(1535)、甲斐の統一に成功した武田信虎は、隣国の駿河(するが)・今川氏や相模(さがみ)・北条氏とにらみ合っていました。兵法の修行のため諸国を巡っていた勘助は、15年ぶりに故郷へ帰る途中、武田の家臣に襲われた村娘のミツを救います。他人を寄せ付けない孤独な勘助は、しだいにミツと心を通わせます。ある日、武田軍と北条軍の戦を見に行った勘助の後を追いかけるミツが、北条に捕らわれてしまいます。[TAIG](C)NHK
15年ぶりに三河に帰った勘助は、武田家家臣の首を手土産に今川へ仕官し、養子に入っていた大林家の家督を継ぐ決意でした。しかし、大林家に実子が生まれたため、勘助は厄介者扱いされます。しかも養父は勘助が討ち取った首を、実子の手柄として主君に届けてしまいます。勘助は大林の名を捨て、実の親の山本姓を名乗ることを決めて出生地・駿河に向かいます。すると、今川家の内紛の秘密を知った勘助の命を、意外な者が狙います。[TAIG](C)NHK
仕官がかなわず、失意のまま甲斐を訪れた勘助は、身ごもったミツに再会しました。「勘助の子だ」と言うミツに「誰の子ともわからぬ」と勘助は突き放しますが、村の生活に安息を見いだしてミツやおなかの子どもと生きる決意をします。一方、武田家では嫡男・晴信(信玄)と、戦に明け暮れる当主・信虎との対立が表面化します。ある日、鹿狩りで獲物が少ないことにいらだつ信虎は、たまたまそこに居合わせたミツに矢を向けます。[TAIG](C)NHK
勘助の子を身ごもったミツが、武田信虎に殺されました。復讐(ふくしゅう)に燃える勘助は、武田家嫡男・晴信(信玄)の守り役・板垣信方に斬りかかりますが、逆に板垣にねじ伏せられます。父・信虎の蛮行を板垣から聞いた晴信は、勘助を呼び寄せ、恨みを捨て大望を抱くよう説きふせます。勘助は板垣の間者(かんじゃ)となり、内紛渦巻く駿河・今川家へ向かいます。[TAIG](C)NHK
駿河の今川家では家督争いが起き、実質的な当主である寿桂尼が何者かに襲われます。しかし、武田の間者(かんじゃ)である勘助に一命を救われます。勘助の真の狙いは、家督争いを利用して、武田信虎に殺されたミツの敵を討つことでした。一方、家督継承で寿桂尼と対立する福島越前守は武田と通じ挙兵しますが、今川と武田の和睦が成立したため孤立無援となり、花倉城に籠城します。城内には勘助の兄・山本貞久がいました。[TAIG](C)NHK
「花倉の乱」は、名を改めた今川義元の勝利に終りました。勝利に貢献した勘助は仕官を望みますが、義元は受け入れません。武田家は今川家との同盟の証しとして、寿桂尼の仲立ちで武田晴信(信玄)が公家の娘・三条夫人と祝言を挙げます。政略結婚ながら晴信は、三条夫人に好感を持ちます。一方、武田と今川の同盟で敵討ちができなくなった勘助は、武田を討つための仕官先を求め北条氏康に会いに小田原へ行きます。[TAIG](C)NHK