日本暗殺秘録
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桜田門外の変、万延元(1860)年3月3日。大久保利通暗殺事件、明治10(1877)年5月14日。大隈重信暗殺事件、明治22(1889)年10月18日。星亨暗殺事件、明治34(1901)年。安田暗殺事件、大正10(1921)年9月28日。ギロチン社事件、大正12(1923)年9月10日。血盟団事件、日蓮宗行者井上日召を中心に集結した一団の民間青年と大学生たちは、国政改革を叫んで一人一殺のテロ計画を実行する。昭和7(1932)年2月9日、井上準之助前蔵相を小沼正が暗殺。同年3月5日、団琢磨三井合名理事長を菱沼五郎が暗殺。この事件は、後の五・一五事件、二・二六事件へと続く昭和初期の国家革新運動の口火となった。小沼正は、小学校6年間を主席で通すが、父の死により上級学校進学を諦め、様々な職を転々とする中、昭和2(1927)年に上京する。だがこの年は、金融大恐慌、不景気の嵐が吹きまくる中、病に罹り一時帰郷する。体力の回復とともに再度上京し、東京本所の落合カステラ店に勤める。主人の人柄の良さ、女中たか子との男女の交情等で心和む時を過ごすが、支店増設の無理がたたり店は破産。小沼は最後まで留まり一心不乱に働くが、その結果は落合一家離散と自らの胸の病の宣告だった。帰郷し治療に専念する小沼は、病院で同じ病に苦しむ民子と知り合う。貧しさ故に先に亡くなる民子に、自らの影をみた小沼は自殺しようとするが、世の中の理不尽さに死んでも死に切れず、虚無な日々を過ごす。そんな時、大洗護国堂の修行僧井上日召と知り合う。その井上の真摯な態度に感銘を受け、井上と共に財閥や重臣、金によって動く腐敗しきった政党を倒し、新しい国家建設しようと奔走する。また、そう主張する井上の許には、海軍将校や理想に燃える青年たちが数多く集う。昭和6年(1930)年、小沼は革命を志して上京する井上に従う。8月には、井上の工作による陸、海、民間革新勢力の大同団結が実る。昭和7(1931)年1月、上海事変勃発。農村の疲弊はその極に達し、首都東京の貧困と堕落は目を覆うばかりとなる。同年2月、小沼は井上前蔵相の暗殺を井上から命じられるのであった・・・。永田暗殺事件、昭和10(1935)年8月12日。相沢三郎中佐が永田鉄山少将を暗殺。二・二六事件、昭和11(1936)年2月26日早朝に一部青年将校を先頭にして、兵員民間人合わせて1,483名が首相官邸をはじめとする重臣たちの私邸を襲撃。一時は政府と軍首脳部は決起部隊の主張を聞き入れることを約束するが、一転して奉勅命を口実にして武力弾圧に乗り出し、数日を待たずして全てを鎮圧。襲撃を受けた者、死者9名、負傷8名、決起部隊、死刑17名、自決2名。その頃、日本は既に中国と全面戦争に陥り、若者たちは次々と戦場に狩り出されていった・・・。
監督 中島貞夫

出演者/スタッフ