「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」 日本の正月の遊びと聞いて、百人一首を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。百首の珠玉の名歌たちには、四季折々の自然の景観や、微妙に揺れ動く恋の気持ちが巧みな言葉づかいで表現されています。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」 詠み人は、絶世の美女として伝説になりながら、多くの謎に包まれている歌人、小野小町。「降る」と「経る」、「長雨」と「眺め」の二つの掛詞を巧みに使い、桜の儚い美しさに自身を重ねて見事に表現しています。
「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな」 詠み人は、一条天皇の時代、新人女房として仕えた伊勢大輔(いせのたいふ)。奈良から天皇へ献上された八重桜を受け取る役を授かった彼女が、その場で一首詠むよう命じられ、とっさに詠んだ歌です。 歌人の多い家系に育ち、その歌才に注目されていた彼女でしたが、見事プレッシャーを跳ね除け、桜の美しさと宮廷の華やかさを重ねて一条天皇を褒め称える歌を詠みきり、賞賛を浴びました。
「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」 詠み人は権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)。本名を藤原定家(ふじわらのさだいえ)といいます。鎌倉時代初期の(新古今時代)代表的な歌人で、この『小倉百人一首』の選者としても有名です。 恋歌を得意とした定家。穏やかな海を、待てども来ない恋人を恨めしく思いながら見つめる少女。その美しくも切ない情景が思い浮かぶようです。
滋賀県と京都府にまたがる逢坂山。平安の世、この山の峠にあった関所「逢坂の関」は当時、都から東へ向かう最初の関所として重要な役割を果たしていました。百人一首では、蝉丸、清少納言、三条右大臣ら三人の歌の名手たちがこの地を詠んでいます。
平安時代、恋は和歌にはじまり、和歌に終わるとも言えるほど、和歌が大切な存在でした。恋がめでたく成就しても、一夫多妻、通い婚という結婚生活では、女性達は不安と嫉妬に悩む事も多かったようです。男性もまた、早朝に女性の元から去る事に、寂しさを抱えていました。 そんなせつない恋心にまつわる三首の和歌を取りあげ、歌人たちのゆかりの地を紹介していきます。