慶長9年(1604)、一人の女が江戸城の門をくぐります。女の名はおふく、後の春日局(つぼね)です。将軍・徳川家康の三男・秀忠と正室・お江与の方との間に生まれてくる子の乳母(めのと)として召し出されました。しかし、お江与は承服できません。お江与の母はお市の方、伯父は織田信長。おふくは、本能寺の変で信長を討った明智光秀の腹心・斎藤利三(としみつ)の娘。お江与にとっては紛れもない仇(かたき)です。[TAIG](C)NHK
天正10年(1582)6月、おふくの父で明智光秀の腹心・斎藤利三(としみつ)は、長男・利康と次男・利宗(としむね)を従えて丹波亀山から本能寺に出陣します。翌日、留守を預かる利三の妻・お安(あん)のもとに、明智の殿が天下様になられたという知らせが届きます。ついに明智光秀は織田信長を討ったのです。しかし、本能寺の変は、お江与にとっても、4歳の初夏を迎えたおふくにとっても地獄の日々の始まりでした。[TAIG](C)NHK
明智光秀が安土城で得意の絶頂にいるころ、毛利攻めで備中にいるはずの羽柴(はしば)秀吉は姫路へ戻っていました。さらに、秀吉が尼崎に入り光秀討伐の軍議を開いたころに、光秀は秀吉の動きを知ります。双方とも雌雄を決するのは山崎の天王山と考えていましたが、情報の遅れや不利な軍勢で光秀は敗北します。おふくと母・お安(あん)は亀山城を脱し、利三(としみつ)らが待つはずの坂本城に向かいますが…。[TAIG](C)NHK
本能寺の変から11日で明智光秀の天下は終わりました。主君も帰る家も失ったおふくと母・お安(あん)は、追っ手を避けながら山野をさまよいます。そして、ようやくたどり着いた京で、はりつけになった父・斎藤利三(としみつ)の無残な姿を目にします。しかし、奇跡的にも亡き父の親友・海北友松(かいほうゆうしょう)と東陽坊長盛(ちょうせい)に再会し、友松の計らいで比叡(えい)山の麓の山里に隠れ住むことになりました。[TAIG](C)NHK
おふくとお安(あん)は比叡(えい)山を後にし、お安の母の実家・京の三条西家に身を寄せます。三条西家は公卿(くぎょう)とはいえ生活は苦しく、お安の父・稲葉一鉄から相当の礼金を取りながら、お安たちを下働き同然に扱いました。一方、柴田勝家が羽柴(はしば)秀吉に討たれたため、親を失った茶々・お初・お江与は、敵である秀吉に引き取られます。3人は伯父・織田信長を討ち、自分たちの運命を変えた明智光秀を恨みます。[TAIG](C)NHK
天正12年(1584)、おふくが三条西家で暮らして1年半が過ぎるころ、徳川家康と羽柴(はしば)秀吉の間で小牧・長久手の戦いが始まりました。おふくの祖父・稲葉一鉄は一族の運命をかけて秀吉に従い、武功をあげ秀吉の信頼を得ます。戦は外交戦略で終結し、その後、関白となった秀吉は祝いのため登城した一鉄に、おふくたちを許すと言います。おふくたちのつらい逃亡生活は終わり、晴れて一族再会を果たします。