永禄3年(1560)、織田軍は桶狭間の合戦から凱旋。ねねは父に付き添う木下藤吉郎(秀吉)に見初められます。ねねも次第に藤吉郎の温かい心にひかれ、祝言を挙げます。[TAIG](C)NHK
ねねと藤吉郎との新婚生活が始まりました。藤吉郎は足軽組頭でしたが、持ち前の才能を発揮して、薪(まき)係、台所係を務めた後、足軽大将に取り立てられます。新しい屋敷を与えられ、隣の屋敷には前田犬千代とまつが住み親交も深まります。ねねは、体を使うことは苦になりませんが、藤吉郎の突拍子もない行動と貧乏には苦労します。ある日、藤吉郎は清洲城の塀(へい)を3日で修理すると信長に大見得を切ってしまいます。[TAIG](C)NHK
ねねは、清洲城の塀が3日で修理できなければ藤吉郎の首が飛ぶと心配して、尾張の中村に藤吉郎の母・なかを訪ね、義弟・小一郎の協力を頼みます。なかは藤吉郎の無鉄砲な行いに怒りをぶつけますが、小一郎に、ねねのために清洲に行くことを許します。そして、ねねや小一郎の協力があって、塀は見事に完成します。藤吉郎はこの功績によって、信長から正式に武士の身分に取り立てられて、藤吉郎秀吉と名のることになります。[TAIG](C)NHK
秀吉の仕事は敵国・美濃の調略です。秀吉は美濃の土豪・蜂須賀小六を織田方につくように説得します。小六は尾張の織田につくか、美濃の斎藤につくかを迷っていましたが、ねねが夫の秀吉を信じて必死に尽くす姿に心を打たれ、信長ではなく秀吉の家臣になる決心をします。信長の妹・お市は浅井長政に嫁ぐことが決まり、美濃攻めの地固めが整います。秀吉の次の仕事は、斎藤方の鵜沼城主・大沢基康を味方につけることです。[TAIG](C)NHK
信長は、秀吉の申し入れで対面に訪れた鵜沼城主・大沢基康を斬るように命じます。そうなると、鵜沼城に残り人質になった秀吉の命が奪われます。ねねの願いが通じたのか、利家と柴田勝家が信長を説得して、基康の斬殺を思いとどまります。秀吉は人質から解放されると、長良川の対岸に墨俣(すのまた)城を築く総大将を引き受けます。敵を前面に迎え撃ちながらの危険な築城です。ねねは秀吉の身を案じながらも覚悟を決め励まします。[TAIG](C)NHK
秀吉は小一郎や小六らと一夜で墨俣(すのまた)城を築き、城代として常駐します。隣家の利家とまつに第一子が生まれると、ねねも子どもを欲しくなりました。永禄10年(1567)8月、信長が美濃に総攻撃をかけると、秀吉の調略活動や前線部隊長としての活躍が功を奏し、稲葉山城は陥落。秀吉は信長から瓢箪(ひょうたん)の馬印を許されますが論功行賞はなく、気落ちします。しかし、ねねに励まされてやる気を取り戻します。[TAIG](C)NHK