16世紀、西洋的な合理主義精神をもとに天下統一をめざした織田信長。その生涯と、激動の時代そのものをとらえた大型歴史ドラマです。文化庁裁定申請中(2019年4月8日申請)(C)NHK
エピソード1
第 1回 ジパング
天正13年(1585)、天正少年使節がローマ教皇に謁見(えっけん)。初の公式訪欧は日本の近代化への第一歩でした。その45年前、幼い信長は尾張統一を目指す父・織田信秀、母・るいと戦乱の中にいました。信長は6歳で那古野(なごや)城主となり、15歳で美濃の斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)をめとります。天文18年(1549)、宣教師フランシスコ・ザビエルが来日。そのころ信長は遊びほうける“うつけ者”でした。[TAIG](C)NHK
エピソード18
第18回 和平同盟
国境を巡り交渉が難航していましたが、信長は松平元康(後の徳川家康)とついに和睦しました。そんな折、斎藤義竜の急死の知らせが届きます。信長は、ただちに兵を整えさせるとともに、美濃衆の引き抜きを急がせました。足軽小頭の藤吉郎が敵方の野盗を味方にしました。配下合わせて3千人。信長は藤吉郎をすぐに足軽組頭に昇進させます。働きのある者は誰でも、直ちに取り立てるのが信長の方針でした。[TAIG](C)NHK
エピソード19
第19回 信長北上
堺の豪商・今井宗久の家の者が訪れ、信長に鉄砲を納めます。商人が持参した鏡や絹織物をしのが選んでいると、帰蝶(きちょう)が来て、残りの品を全て自分の部屋に運ばせます。信長はしのをなだめますが、今度は帰蝶がしのとは暮らせない、堺に住みたいと言い出します。永禄6年(1563)4月、帰蝶が堺へ旅立ちました。6月、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスが九州に到着。信長は清洲の北、小牧山に城を移します。[TAIG](C)NHK
エピソード20
第20回 伴天連フロイス
清洲城を出た帰蝶(きちょう)は堺に着き、豪商・今井宗久を訪ねました。一方、フロイスとトルレス神父たちは、領主がキリシタンに改宗した九州の横瀬浦で布教に努めます。ほとんどの住人がキリシタンでした。ある日、領主を追放した武士たちが信徒を斬り、教会を焼き払います。フロイスは病身のトルレス神父を守り、南蛮船へ逃げ込みます。永禄7年(1564)10月、信長は朝廷から尾張国内の御料所の回復を命じられます。[TAIG](C)NHK
エピソード21
第21回 将軍暗殺
永禄8年(1565)元旦、京に着いたフロイスはヴィレラ神父とともに将軍・足利義輝に拝謁します。5月、小牧山城で軍義中の信長のもとに、将軍家の使者・明智光秀が書状を持って訪れます。大和の松永久秀に謀反の企てがあるため、義輝を守るよう上洛(じょうらく)を促します。しかし、義輝はすでに暗殺された後でした。義輝の死で、フロイスたちは都を追われます。翌春、しのは三人の子を残して他界しました。[TAIG](C)NHK
エピソード22
第22回 美濃攻略
東美濃をほぼ制圧した信長は、西美濃の武将たちの説得工作により稲葉山城の斎藤龍興を孤立させ、稲葉山城を残し美濃のほとんどを制圧しました。永禄10年(1567)春、信長は三河を統一した徳川家康の嫡男・信康に娘・五徳姫を嫁がせます。そして、信長は最後の城・稲葉山城を攻め落とします。十年の歳月をかけて美濃を制圧し、城のある井の口を岐阜と改名した信長のもとへ足利義秋(後の義昭)の使者・明智光秀が訪れます。[TAIG](C)NHK