天正13年(1585)、天正少年使節がローマ教皇に謁見(えっけん)。初の公式訪欧は日本の近代化への第一歩でした。その45年前、幼い信長は尾張統一を目指す父・織田信秀、母・るいと戦乱の中にいました。信長は6歳で那古野(なごや)城主となり、15歳で美濃の斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)をめとります。天文18年(1549)、宣教師フランシスコ・ザビエルが来日。そのころ信長は遊びほうける“うつけ者”でした。[TAIG](C)NHK