自分亡き後の豊臣家のことを心配しながら、秀吉が死んだ。徳川家康は、伊達や福島らと縁組みを始めた。秀吉の籠臣・石田三成は諸大名が家康と手を組むのを恐れ、秀吉の遺児秀頼を大阪へ移し、他の大名もそれに随伴させる。しかし、彼らはそれに従わず、家康の居る伏見に残った。その頃、三成が頼りにしていた前田利家も死んでしまい、加藤清正らは三成を打つために大阪へ向かう。三成は窮地に立つが、単身家康のもとへ行き…。