
マディ・ウォーターズ・アンド・ザ・ローリング・ストーンズ ライヴ・アット・ザ・チェッカーボード・ラウンジ・シカゴ1981

1981年11月22日、ブルースの都シカゴで、夢の共演が実現した。“史上最高のロックンロール・バンド”ザ・ローリング・ストーンズと“20世紀ブルースの巨人”マディ・ウォーターズがひとつのステージに立った歴史的ライヴ。少年時代の友人だったミック・ジャガーとキース・リチャーズが再会を果たしたとき、ミックが脇に抱えていたのは『ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ』のLPレコードだった。彼らはマディの曲からバンド名をとって、ザ・ローリング・ストーンズを結成する。 彼らのデビュー・シングルB面は、マディで知られる「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ラヴド」だった。1964年6月、初のアメリカ・ツアーを行った彼らは、尊敬するマディが数々の名曲をレコーディングしてきたシカゴの『チェス・スタジオ』を訪れる。そして1981年11月22日、シカゴ。ストーンズの北米ツアー中、同地での3日連続公演を翌日に控えて、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロニー・ウッドがチェッカーボード・ラウンジで行われたマディのライヴに飛び入り。ブルース・ジャムを繰り広げた。その模様は撮影され、一部が公になってきたが、その全貌が遂に明らかになる。「フーチー・クーチー・マン」、「マニッシュボーイ」、「ゴット・マイ・モジョ・ワーキン」などブルースの歴史に冠たる名曲の数々に加え、マディの生前最後のスタジオ・アルバムとなった『キング・ビー』からの「シャンペン・アンド・リーファー」も披露するこのステージは、ロックとブルースの最高峰が相交わるセレブレーションだ。ミック、キース、ロニーはストーンズ北米ツアー中盤の、まさにベスト・コンディション。マディは前年に日本公演を行っているが、これが最後のツアーとなった(1983年に死去)。このタイミングを逃したら二度と実現しなかった奇蹟の合体をさらに豊潤にするのが、ゲスト共演者の面々だ。ジュニア・ウェルズ、バディ・ガイ、レフティ・ディズというシカゴ・ブルースの実力派プレイヤー達、そしてストーンズの初期メンバーでありツアー・ピアニストだったイアン・スチュワートが、たった一夜のスペシャル・ライヴを盛り上げている。アニヴァーサリー・イヤーを祝う、全ロック・ファン及びブルース・ファン必聴・必見の作品だ。