日本海軍のエリートたちはなぜ開戦を決意したのか。海軍反省会での証言から、彼らが組織の人間として、「戦争回避」とは言い出せなくなっていく経緯を浮かび上がらせます。[HIST](C)NHK
昭和19年(1944)10月に始まった「特攻」作戦。人間が兵器と一体化して敵に体当たりする決死の戦法です。この作戦で戦死した将兵は5千人以上、そのほとんどが20代でした。第2回は、生還の可能性のない「特別攻撃隊」を作った組織の姿に迫ります。太平洋戦争末期、将兵たちの熱意から生まれたと伝えられてきた「特攻」。しかし、海軍反省会では、それより1年以上前から組織的に計画していた事実が赤裸々に語られます。[HIST](C)NHK
敗戦後の東京裁判で、文官1人、陸軍関係者6人が絞首刑。一方、海軍関係者は終身刑となり、のちに釈放されました。海軍関係者はなぜ極刑を免れたのか。第3回は、日本海軍・軍令部の元参謀たちが海軍トップを守るため、水面下で組織的に裁判対策を行っていた実態に迫ります。彼らはどんな活動をしたのか。その後、「戦争責任」とどう向き合ったのか。海軍反省会での証言から、日本海軍のエリートたちの実像を浮き彫りにします。[HIST](C)NHK