吉野ヶ里遺跡の墳丘墓から権力者を埋葬したカメ棺が見つかり、その中から王権の象徴ともいえる銅剣や管玉などが出土しました。美しい装飾が施された銅剣や当時の東アジアでは最高級のガラス製の管玉です。これらの出土品の持ち主は誰だったのか。はたして、どこからもたらされたものなのか。専門家たちが銅剣や管玉の成分を分析したり、当時と同じ製法で復元を試みたり、科学的に検証しながら出土品のルーツを探ります。[HIST](C)NHK
吉野ヶ里遺跡で発掘された集落は、周りを幅4~5メートル、深さ2メートルの大きな濠(ほり)に囲まれ、高さ10メートルの望楼がそびえる要塞になっていました。また、墳丘墓からは矢じりが刺さったり首を切られた人骨が出土し、邪馬台国(やまたいこく)の時代は戦いに明け暮れていたことが想像できます。第2回は、邪馬台国がどこにあったのかを探るため、邪馬台国誕生の前後に起こった倭国(わこく)大乱の実態を追います。[HIST](C)NHK
「鬼道につかえ衆を惑わす」と『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記された邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)は、どんな女性だったのでしょうか。そして、邪馬台国はどこにあったのでしょうか。最も有力視されているのが九州説と畿内説です。第3回は、吉野ヶ里遺跡の出土品を手がかりに、この2説を検証し、卑弥呼の姿を探ります。さらに韓国考古学の情報を交え、東アジアの中の邪馬台国の姿を浮き彫りにします。[HIST](C)NHK