歴史をさかのぼることで、時代の本質をワシづかみにする「さかのぼり日本史」。現代から古代まで、1年で「日本が来た道」を「通史」で描ききる。NHK初めての通史の歴史番組。(C)NHK
エピソード2
戦後 経済大国の“漂流” 第2回 “戦後政治の総決算”の行方
日本の戦後政治をさかのぼると、1970~80年代の転換点は、1982年発足の中曽根内閣です。中曽根氏が首相になる前は、日米安保体制の下、経済立国を目指す「吉田路線」から脱却し、自前の防衛力を備えて政治経済を刷新する「戦後政治の総決算」を掲げますが、首相になると日米安保体制を堅持する道を選びます。第2回は、日本の戦後史で中曽根内閣が達成したもの、次の時代に影響を与えたものについて考えます。[HIST](C)NHK
エピソード3
戦後 経済大国の“漂流” 第3回 55年 吉田路線の選択
1980年代に「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣でも、アメリカの安全保障の下で経済立国を目指した吉田茂の路線を変更できませんでした。この「吉田路線」が定着した転換点が、自民党誕生の1955年です。当時の首相・鳩山一郎は、前任の吉田とは反対の考えから、独自の防衛力を整備してアメリカに頼らない安全保障を主張しますが、日米安保を覆せません。第3回は鳩山が結果的に「吉田路線」を継承した経緯を探ります。[HIST](C)NHK
エピソード4
戦後 経済大国の“漂流” 第4回 戦後の原点 講和と安保
日本の戦後混乱期に東西冷戦が始まり、アメリカは日本を共産主義からの防波堤にするため、再軍備を要求します。1950年、朝鮮戦争が起こると、米ソ対立はさらに激化。アメリカにとって日本の重要性が増すことを察知した吉田茂は、1951年、日本に有利な条件でサンフランシスコ講和条約に調印し、同日、日米安全保障条約も締結します。第4回は、日本の戦後史の大きな転換点となる吉田の決断を追います。[HIST](C)NHK
エピソード5
昭和 とめられなかった戦争 第1回 敗戦への道
昭和になってからも、なぜ日本は、満州事変・日中戦争・太平洋戦争と戦争を拡大・長期化させたのでしょうか。第1次世界大戦に勝利した日本は、来るべき米ソとの戦争に備え準備を進めますが、軍部統制・外交戦略の誤算や戦局の見込み違いで、世界から孤立します。世界の動きを見誤り、戦争に突き進んだ激動の昭和を、歴史学者・加藤陽子氏とともにたどります。第1回は、1941年の日米開戦から1945年の敗戦に至る道です。[HIST](C)NHK
エピソード6
昭和 とめられなかった戦争 第2回 日米開戦 決断と記憶
1941年、なぜ日本は10倍もの国力差があるアメリカとの開戦を決めたのでしょうか。開戦の最大の推進力である陸・海軍の中堅将校たちには、日露戦争勝利という成功体験がありました。当時の日露の国力差は約10倍。同じ程度のアメリカとなら、短期決戦で勝てると判断しました。第2回は、日米開戦に踏み切った経緯をたどります。この番組は著作権上の制約等から、一部放送とは異なる箇所があります。ご了承ください。[HIST](C)NHK
エピソード7
昭和 とめられなかった戦争 第3回 日中戦争 長期化の誤算
1937年の盧溝橋(ろこうきょう)事件から始まった日中戦争は、「事変」と称した奇妙な「戦争」でした。日・中ともにアメリカとの経済的関係の断絶を回避するために宣戦布告をしなかったと、歴史学者・加藤陽子氏は分析します。軍事力に勝る日本は早期に決着できると考えていましたが、中国は持久戦に持ち込み、米ソの参戦を待ちます。第3回は、日中戦争を長期化させた日本の誤算を検証します。[HIST](C)NHK