平家が権勢を誇る平安時代後期、伊豆の豪族・北条時政の嫡男・宗時は平家の横暴ぶりに従いながらも、東国武士による武家政権樹立のため、伊豆に流されていた源氏の嫡流・源頼朝の擁立に動きます。平穏な日々を送っていた頼朝は、治承4年、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)の令旨を得て、ついに平家に対し挙兵します。現存する番組テープの状態により、一部お見苦しい部分、お聞き苦しい部分があります。ご了承ください。[TAIG](C)NHK
鎌倉を本拠地に定めた頼朝は、富士川で平家に勝った後、弟・義経と初めて対面します。頼朝は義経に平家追討を命じ、義経は西走する平家を、屋島で打ち破り、壇ノ浦で滅亡させます。しかし、「義経は軍功を独り占めにしている」という書状が頼朝に届き、頼朝は義経に不信の念を抱きます。一方、政子は嫡男・頼家を出産します。現存する番組テープの状態により、一部お見苦しい部分、お聞き苦しい部分があります。ご了承ください。[TAIG](C)NHK
平家討伐後、頼朝と義経の溝はさらに深まり、義経は頼朝に追われます。義経の子を宿した白拍子の静(しずか)は頼朝に捕えられ、生まれた男子は殺されます。文治5年、義経は奥州・衣川で自害しました。建久3年、頼朝は征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開きます。政子は次男・実朝(さねとも)を産み、頼朝は栄華を極めます。現存する番組テープの状態により、一部お見苦しい部分、お聞き苦しい部分があります。ご了承ください。[TAIG](C)NHK
源頼朝の突然の死で、長男・頼家が二代将軍に就きます。しかし、独善的な頼家は幕府を混乱させたため、政子が頼朝の意思を継ぎ、政務に関わる決意をしますが、頼家の妻の父・比企能員らが権力の掌握を企てます。これを見た政子の父・北条時政らは能員を殺害し、頼家を伊豆・修善寺へ追放。北条氏が鎌倉の実権を手に入れました。現存する番組テープの状態により、一部お見苦しい部分、お聞き苦しい部分があります。ご了承ください。[TAIG](C)NHK
二代執権・北条義時は、一門の権力を盤石にするため、重臣・和田義盛の追い落としを図ります。さらに、三代将軍・源実朝が頼家の子・公暁(くぎょう)に暗殺されます。鎌倉の混乱を察知した後鳥羽上皇は、承久3年(1221)、北条追討の院宣を発します。対する政子は鎌倉の御家人を集め、涙ながらに団結を訴えました。現存する番組テープの状態により、一部お見苦しい部分、お聞き苦しい部分があります。ご了承ください。[TAIG](C)NHK