昭和ノスタルジー香る懐かしいラーメンの魅力をたっぷりお届け!店主こだわりの1杯をご堪能ください!
エピソード1
#1 雑司が谷 ターキー
神社や寺が多い雑司が谷の閑静な住宅地にある、昭和50年創業のラーメン屋。店主・甲立一雄の作るラーメンは「手抜きなし」の本物だ。鶏の足「もみじ」をメインに毎朝2時間半かけてクリアなスープを取り、その日残ったものは捨ててしまう。タレもしょうゆでチャーシューを煮て長い年月継ぎ足してきたもの。そっけなくも、懐かしい盛り付けのラーメンは麺をすすればその実力に驚く。独自のラーメン哲学を貫く店主の作るラーメンは、レトロな外観からは想像もつかないほど完成されたものだった。
エピソード2
#2 荻窪 中華そば春木屋
仕込みは毎朝6時から始まる。3種の小麦粉をブレンドして自家製麺、大量の煮干しや国産の野菜を使ってぜいたくなスープを取る。店主は2代目・今村幸一。長野県出身の先代が信州そばツユからヒントを得て生んだスープを、独自にアレンジして現在のものに改良した。「伝統とは常に変わり続けること」と、今日も新たなメニュー開発に励み、その伝統を3代目に伝えようとしている。
エピソード3
#3 笹塚 福寿
美空ひばりが「リンゴ追分」を歌った昭和27年創業。新宿に日本そば店「福家」を起こした先代が「日本一」を標榜して商売を成功させた。今も使われ続けているラーメンどんぶりの底の文字「日本一」は、その気概を継いでいる証なのだろう。 朝はレンガ積みのかまどに火を入れることから仕事が始まる。大釜がグラグラ煮立ち、気がつけばモワモワと舞い上がる幻想的な湯気の向こうに2代目の小林克也が立っている。
エピソード4
#4 銀座 萬福
大正ロマンから昭和モダンへ。新しいライフスタイルと心意気を求める庶民の熱気が熱く沸いた時代、西洋料理も中国料理も好奇心をそそる舶来の食文化だった。大正15年は昭和元年、その1926年に銀座「萬福」は創業。屋台から始めた西洋&中国のコスモポリタンな料理屋は人気を集めて繁盛する。21世紀になっても3代目の久保英恭が腕を振るう中華そばには豊かな文化の香りが漂っている。凛とした存在感で中華そばの上に鎮座する三角形の卵焼きは萬福のシンボルだ。
エピソード5
#5 新御徒町 味の幸楽
店では「半ナシラーメン」というオーダーが圧倒的に多い。「半ナシゴレンとラーメンのセット」である。ナシゴレンとはインドネシア・マレーシア伝統の焼き飯だ。このレシピは店主が上野での修業時代に、客として来ていたインドネシア人に教わったものだという。幸楽のラーメンは豚足・鶏ガラ・鶏脂などからだしを取った透明感あるスープだ。このスープを用いたオリジナルの辛みそで作ったナシゴレンはとてもおいしく、店主の妻が作るしょうゆラーメンとのセットは値段も750円とお得感があり、大人気メニューとなっている。
エピソード6
#6 浅草 来集軒
明治43年、日本にラーメンの存在を広めた来々軒が浅草で誕生した。その同じ年に、製麺所として誕生したのが来集軒だ。その後、昭和25年に独立。製麺からラーメンを提供するお店へと変わって今に至る。壁に貼られたサインが物語るように、多くの著名人に愛されてきた。鶏ガラ豚骨、野菜の甘みが加わったスープによく絡む麺が秀逸。名物のシュウマイをつまみにビールを飲む常連客も多い。麺のかたさ、味の濃さなど、客の要望に応える注文札もある。そこに浅草下町の心意気が隠されていた。
羽室満
片野英児
曽我部洋士